合理的な間違いを克服するために
コロナウィルスの騒動で自粛をしているうちに、体重が増えてしまった。
運動量が落ちているのだから、食事を減らさなければ体重が増えていくのは自明のことだ。
だから
「揚げ物は止めよう」
「炭水化物は取らないようにしよう」
という二大方針を掲げているのだが、今日のランチはチキンカツだった。
見事に破られている。
なぜか。
どうしたらいいのか。
というのがテーマだ。
分かっているのに、間違いを繰り返すのはなぜか。
それは僕らが合理的な生き物だからだ。不合理だからではない。
ただ合理性には「中期な合理的性」と「短期的な合理性」があり、この二つは異なる。
そんなことがあるかって?
中期で合理的な選択があるならば、短期でもそれを選択するのが合理的なはずではないか。
周囲から見れば自明なそのことが、しかし、当人の目線から見れば自明ではない。
明確に、構造的に、この二つがズレる場面があるのだ。
それは
「結果が遅れてやってくる」
場面だ。
誰かを殴れば、殴り返される。そういうふうにアクションとリアクションがほぼ同時に起こる場面では、この問題は起こらない。
けれども例えば、「今日、チキンカツを食べた」というアクションのリアクション(体重の増加、体の不調)が出るのは、数時間後から数日後のこと、食べているその瞬間に、ほぼ同時には帰ってこない。
だから食べているその瞬間(短期)においては、サクサクの衣の感触や、じゅわーっと湧き出る肉汁の味などを満喫して幸福感だけを享受することが可能なわけで、たとえ中期的に後悔すると分かっていても、短期的には、その選択をするのは合理的だ。
だから「分かっちゃいるけど」という失敗を繰り返す時、人は不合理なのではなくて、とても合理的なのであって、ただその時間軸が少しズレているに過ぎない。足りないのは意志力などではなく、時間軸の配線をつなぎ変える少しの工夫ということになる。
そもそも人の脳はいくつかの部位に分かれていて、生物としての進化とともに、古い部分に、新しい部分が付け加わるようにして発達してきたらしい。そして比較的、古い脳の部分では、とても短期的、感覚的な情報処理をする。荒野に生きる動物が、獲物や捕食者と出会った時に最適な行動を取れるように。
比較的新しい部分(大脳新皮質)ではもう少し中期の合理性を実現するための情報処理が行われているらしいが、これらの部位同士は完全に連結され、統合されているわけではなく、むしろ異なるプログラムが別々に脳内を走っていて、目の前の情報を処理するために、どれを使うかという問題であるらしい。
そのあたりの大脳生理学についてはもう少し勉強してまとめてみたいけれども、今の時点で大事なのは、それらの回路のなかで「中期的な合理性」を、少なくとも意思決定の多くの場面で中心においておくような回線の組み替えを自分の脳内ですることだ。
そのための工夫が、このブログを書いていくこと、ということになる。書く時には考えを整理し、中期的な影響も考えて、行動をシミュレーションできるから。そしてその結果として、選択のガイドラインを自分の脳内に蓄積していくことで、短期的な意思決定を求められる場面でも、それを脳が参照するようにできるんじゃないかと思っている。
そのアイディアをくれたのは、たまたま見つけた以下のポストだ。
この記事は内容自体もとても参考になるけれど、それ以上に、アプローチに可能性を感じさせてくれた。
少しずつ、いろんなことを書きながら、自分なりの行動の軸ができていったらいい。